机の上で光る、古びたiPad Air2の画面。
指でタップしても、もう新しいアプリは開けない。
「まだ動くけど、もう役目は終わったのか?」──そんな問いがふと浮かびました。
10年目のiPad Air2がついに限界に
2014年に買ったiPad Air2。
最低限のOSアップデートは届いていたけれど、アプリの更新はすでに終了。
SNSもブラウザ経由でしかまともに動かず、動作もどこか息切れしているよう。
iPadOSのメジャーアップデートが終了した2021年以降、「文書作成さえできればいい」と割り切って使っていました。割り切って使っていました。
でも、言ってみれば「文書作成しかまともにできない」という状況は思いのほかつらいものです。
「まだ使える」という気持ちと、「もう無理かもしれない」という現実の間で、少し心が揺れました。
僕は「ものを長く使う派」
iPhone7は7年、MacBook Proは12年。
比較的長い期間使っていました。
できるかぎり長く使うのが僕のスタイルみたいです。
ただ、デジタル製品には「サポート切れ」という、こちらの意思ではどうにもできない「終わり」があります。
それは、道具が壊れるよりも静かで、少し切ない終わり方です。
長く使うことと、買い替えることの間で
「長く使う」ことは、愛着を育てること。
ひとつひとつの傷や汚れに、時間や思い出が積み重なっています。
修理とメンテナンスを繰り返して使い続けられるのなら、僕はそちらを選びます。
アナログ製品であれば「不便さを楽しむ」という趣味性に振った考え方もできるでしょう。
だけど、デジタル製品に関しては、セキュリティ面への不安を抱え続けることになります。
時代の流れを受け入れるのもまた、自然のリズムのひとつなんでしょうね。
新型iPadへの買い替えを決意した理由
そしてついに、10年の節目を迎えたiPadを買い替える決意をしました。
ちょうどプライム感謝祭が近づいていて、「もしセール対象になったら運命だな」と思いながら。
買い替えというよりは、次の10年へのバトンタッチ、世代交代です。
古いiPadも完全な「引退」ではなく「セミリタイア」。
音楽プレーヤーやデジタルフォトフレームとして、もうすこし出番がありそうです。
デジタル製品との距離感を考える
道具との付き合い方は人それぞれ。
常に最新機種に買い替える人もいれば、長く使い続ける人もいます。
それぞれの哲学があるので、良し悪しの問題ではありません。
どのタイミングであっても、デジタル製品には更新の時期がやってきます。
だからこそ、自分なりの「最適な距離感」で使っていければいいんじゃないかなと思います。
どちらにも、それぞれの哲学があります。
良し悪しではなく、自分に合ったリズムを見つけられたらそれでいい。
あとがき的なもの
ちょっとしんみりした感じでしたが「新しいの買うぜ!」ってワクワク感はすごくあります。
Apple製品は決して安くはないけれど、サポートが長いぶん、結果的にコスパは悪くない印象。
なので、次のタブレットもiPadファミリーのどれかにするつもりです。
プライム感謝祭でiPadがセール対象になったら──秒でポチります。どうか、なにとぞ…。
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