こんにちは、猫田です。
全く釣れない。
反応がない。
魚の影すら見えない。
なぜ、なぜなの…。
朝一で、とっておきの川にやってきて1時間。
こんなことが多々あります。
その原因を、初心者なりに探ってみました。
技術的なお話は、ほぼないです。
少しスピリチュアル要素あります。
雑念は捨てなくてよい
魚は必ず出ます。
よほどの状況ではないかぎり、そこそこ以上の実績がある川なら、100%に近い確率で釣れます。
しかし、釣れないと、どうしても焦りが出てくるもの。
そんな時のぼくは、以下のような心境です。
川岸に立ち、ロッドを振り始める。
早く最初の1匹を手にしたい。
釣りたい、釣りたい。
いつも序盤は、そんな気持ちばかりが、頭を駆けめぐる。
まるで、邪念の塊。
大自然の中に、ポツンと存在する異物。
まず、その日の1匹目の顔を見ないと、安心できない。
「これは、いかん。雑念を捨てねば!」
こんな感じですから、無駄にバシャバシャ川の中を歩いてしまったり、うしろの木にフライを引っかけてしまったりと、ますます調子を狂わせてしまうんですね。
けれど、これは自分と自然の波長を合わせるための、「調整の時間」だと思っています。
湧き出てくる雑念は、そのまま放ったらかしでいいのです。
出尽くすと、ほとんどなにも考えていないような状態になります。
自然のリズムに同調したのでしょうね。
なぜか釣れるスイッチがはいる
こうなると、不思議と魚が釣れはじめることがあります。
なんとなく、魚がどこにいるのかわかるようになり、「あそこから流せば、あの辺りで釣れそう」と、イメージできるんです。
もちろん、それまでの経験や知識も少しはありますが。
ですが、「調整の時間」を経て、自然に対する、自分の異物感が薄れたことも関係しているように感じています。
ただ目の前にある物や、今という時間だけに意識が向かうのは、瞑想やマインドフルネスと呼ばれる状態に近いのではないか、と。
正確には、瞑想とは違うのかもしれません。
ただ、心が穏やかになり、川の音や、風が肌に当たる感触など、今までよりはっきりと、そこに感じることができます。
異物だった自分が、ちょっとだけ、自然に溶け込めたのかもしれないですね。
おわりに
タイトルに、心がまえなどと、大げさな言葉を入れたわりに、抽象的な内容だったな、と反省しています。
フライマンに限らず、釣り人には、今回のテーマのような気持ちになることが、必ずあるはずです。
自然を尊重し、その中で遊ばせてもらえる感謝の心、それを忘れずに楽しむことが、大切だと思います。
ちなみに、キャッチ・アンド・リリースは、資源を守るための大事な行為ですが、たまには魚をキープして食べましょう。
釣った命を美味しくいただくのも、川や魚への礼儀のひとつだと思っています。
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